保育について / NPO法人 こどもの広場もみの木

2才から

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ことりぐみ

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すみれぐみ

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森で・・・

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子どものからだ

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もみの木の財産

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【もみの木園の子どもたち】


二才から

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子どもは2才になると自分から外へ行きたくて、じっとしていません。からだをよく動かすことが何よりも大事な時期だからです。私たちはこの時期を、いつも一緒のお母さんの元を少し離れて、子どもが自分の仲間に出会う社会生活に踏み出す第一歩ととらえ「いっしょにあそぼう!」と誘っています。子どもたちには人とふれあう喜びの中で心もからだも動かして心ゆくまであそんでほしいと思います。


ことりぐみ

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2才の人が仲間入りするクラスはことりぐみです。2才・3才・4才の子どもたちがメンバーです。ことりぐみはいつも大きいすみれぐみ(5才・6才)と一緒に活動します(遊びます)。小さい人たちはみんなの真ん中にいて可愛がられて育ちます。順繰りに大きくなっていくことを楽しみにして、ことりぐみの2才は「ちいさいことり」3才は「ちゅうくらいのことり」4才は「おおきいことり」と呼んでいます。


すみれぐみ

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すみれぐみは、小さいことりぐみと一緒に生活することを大事にしています。幼児期に生きる子どもたちを、年齢別の課題に沿わせる枠に入れるのではなく年齢の垣根を越えた人間関係を育てる力を養うことが最重要だと考えてきました。なぜならば、いろんなお互いを引き受け合っていく人と人とのつながりが社会にとってなくてはならないと思うからです。すみれぐみの子どもたちにとって、ことりぐみの時代は自分たちも通ってきた道小さい人たちと共にある時間は、上へ上へと成長することを求めるのではなく、
ひとりひとりの幼さ、子どもらしさを充分に熟成させる時なのです。背伸びしカッコつけて、早く大きくならなくていいのです。子どもたちが今ある自分の身の丈で、誰もが堂々と”自分たち”のあそびや生活をつくっていくことを応援したいと思います。大きい人は小さい人に優越しているのではなく、小さい人たちのために働き、可愛がり、共にある喜びを分かち合う。動かしがたい自我を打ち出す小さい人たちに胸を貸す。我慢もするし、ケンカもする。子どもから子どもへ、あそび、生活の知恵を伝える担い手になる。。。などなど、ちょっぴり先に生まれたものとしての使命を果たしつつ、人と人とが一緒に生きようとする、一緒に楽しもうとする、もっとも根源的な”共感する力”を蓄えていくのです。

【もみの木の保育】

森で・・・

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雨の日で風の日も、うだる暑さの中も凍える寒さの日々も、一年中森へ通う子どもたち。誰もが自然の恵みを受けて育ってほしいから、天候もまるごと受け入れて四季をめぐります。
子どもたちが過ごす里山には原っぱ、雑木林、丘、崖、山道、あぜ道、田んぼ、畑、池、湿地、小川・・・といつでも出掛けていけて、どこでもいろんな楽しみ方ができる”場”がつらなっています。
歩いてたどり着いたその場所に子どもたち自身が親しみ、あそびを生み出していけるようになるには、何もしないでいることも含めて十分な”子どもの時間”が必要です。
向き合う自然は果てしなく大きいのですが、子どもたちひとりひとりが受容していくテンポ、スケールを大事にしています。
ミミズ、ダンゴムシ、テントウムシ、カタツムリ、ケムシ、シャクトリムシ、カメムシ、バッタ、トンボ、カマキリ、チョウ、トカゲ、クモ、ヘビ、オタマジャクシ、カエル、ザリガニ・・・
子どもたちが好きな生き物はこうやってぞろぞろ並びます。木や草、野の花、木の実もいつも手にしています。
土、石、水も切っても切り離せません。
森の自然は、日々刻々と変化し、生き物たちはそれぞれの命をつなぐ営みを堂々と続けているのであって”子どものために”存在している訳ではありません。
だから自然物を”教材”とは呼べません。
それなのに森が子どもたちをたっぷりと育ててくれるのです。
私たちは森が育ててくれるものと、「教育」の名の下に行われる知識偏重の早期教育のみならず、感性さえも先取り効果を狙って、子どもたちに与えられるカリキュラム(教育プログラム)との違いを見極め、子どもたち自身がゆっくり森に親しみ、自然を感じとっていく暮らしを大切にしたいと思います。

子どものからだ

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もみの木園の子どもたちは毎日よく歩きます。歩きながらおしゃべりし、うたをうたい。道草をし、枝をとりあい、追いかけっこ・・・お弁当を食べて帰ってくる道のりをみんなで歩きます。
帰りの急な山道を登りながら「あ~、からだが重い。心が重い」・・・こんな呟きが聞こえてくることもあります。
冬の日、くつがぬれて、裸足で歩く子ども。
暗い森の道をぬけお日さまの当たる地面に立ったとたん「あったかーい!」からだが感じとったことが輝くことばになって飛び出てきます。
歩きながら子どもたちは自分の体と対話しているのでしょう。
もちろん、無意識に・・・。
入園したばかりの子どもも、とまどいながらも自分のペースで歩き始めますが、一緒にいる仲間を見ながら心が動き、体も動きだします。
地面にもぐんと近づき、しゃがんだり、寝そべってムシを見たり、泥もこね、心ゆくまであそびます。
子どものからだは、ここで留まってはいません。
次の飛躍が待っています。
大地をけって、野山をかけまわり、からだのすみずみまで動かしてあそぶからだになっていくのです。
私たちは走るからだになることと、自分の身のまわりのことをやれるようになることと、生活上必要な働く”手”を育てることが、切っても切り離せない関連性を持っていることに気づいてきました。ここから保育の内容を導きだしています。

もみの木の財産

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まずは自然の中で子どもたちがたっぷりあそべるように・・・と森の活動をはじめたのですが、そこで私たちは自然の恵みと同じくらい大切な宝物を手にすることができました。
それは森で出会った方たちとの親交です。
子どもたちひとりひとりと友人として自然体でつき合ってくださるのは、里山保全に関わる方たち、一緒に野あそびや自然観察を楽しんでくださる方たち。
子どもたちはいつも出会いを楽しみにし、かけがいのない関係を紡ぎながら大きくなっていきます。
地域生活の豊かさはこんな暮らしの中から生まれてくるのではないでしょうか。
私たちは人と人、人と自然とのかかわり合いの観点から、子どもたちが育つ地域づくりの一役を担っていきたいと思います。